第1回「真の日本のすまい」提案競技佳作受賞作品
「藁が寄り道する家」



豊かな社会のはずが

今から100年前の人は、100年後こんな世の中になる事を想像したでしょうか。我が日本は、素晴らしい高度な経済・技術成長を成し遂げました。それは、限りある化石燃料の、莫大な量の消費の上に成り立っているのです。我々はあらゆる物を犠牲にしてはいませんか。自然環境の破壊はもちろんの事。政治経済、社会環境のひずみなど、この先どうなるのでしょうか・・・。

 

エネルギーの事を考えてみると、石油エネルギーに頼る社会に不安を感じます。代替エネルギーの事、省エネルギーの事など考えられていますが、もっと個人レベルの意識をもっと深める事が必要ですだと思います。

 

食料についても、世界の何割という飢餓、世界的な人口増加、温暖化による農作物への影響など、戦後の食糧不足を教訓にしなければなりません。これからも、日本は金さえ出せば米をいくらでも輸入できるとタカをくくっていていいのでしょうか。アメリカには畜産飼料、麦、大豆といった基礎食糧の大半を頼っていますが、過度のアメリカ依存はこの国が今後こうした食糧を「外交カード」に使いはじめるのではないかと危惧するところです。日本も自給率を上げていかなくてはいけません。

 

人と人とのつながり、関わり方もおかしくなってきています。親子、夫婦、家族、ご近所、学校、会社、社会、国際社会、のさまざまな場面で、いろんな事件や争い事が耐えません。   

便利さ手軽さを求め、合理性こそ美徳の世の中に、時間的豊かさが実現できたでしょうか。より一層人々は時間に追われ、自分の事で精一杯で、ストレスまみれです。経済的に豊かになれば、それ以上の欲が出てきます。それでは、人を思いやる心が持てなくなります。悲しい事です。

 

 

自分を探し生きる事

 

里山で、新鮮で安全な食物を自ら確保し(自給自足)、自分の才能や生き甲斐を生かして現金化し、生活をする生き方を理想としています。これを「半農半X」的生き方とします。「X」=才能、生き甲斐、使命。人間食べさえすれば生きられる、それに生き甲斐がプラスαであれば幸せな人生だと思っています。

ただし、「半農半X」において、個々の生活が基本です。個人は自らの生活の自立した体系に責任を持たなければなりません。これからの日本は、年金もあてにならず、自分の事は自分で責任を持つ時代です。

 

デンマークの人も、かつては子が親の面倒を見る習慣がありました。その時代の老人が幸せであったかというと、必ずしもそうではなく。若者と意見が合わずに家庭の中で孤独を感じる事や、子供に負担を掛けまいと、中には、自殺をする老人もずいぶんいたそうです。そのような経験から、デンマークの高齢者福祉の基本方針などが生まれました。
 1)継続性
 2)自己決定
 3)自己資源の開発
つまり、これまでどおりの生活を続け(継続性)、他人ではなく自分の決定でなされ(自己決定=個人尊重)、生きがい(自己資源の開発)を持ち生きる、という「自立」の意味を持ちます。一人暮らしの老人であっても、障害者や母子家庭であっても、生活が保障されていて、誰も面倒見なくても、生きていけるのです。そこには、「孤独」が生じます。「孤独」による自殺も少なくないなのです。家族と暮せるから、食べて行けるから、だけでは、生きていけない事の証明なのです。そして「エコビレッジ」が出来たわけです。

 

70年代のヒッピーの時代、若者が集まりコミュニティを作り暮す事から始まり、80年代は自給自足を目的としたコミュニティ。90年代は環境問題に取り組むコミュニティ。アプローチも、大きく3つに分けられます。エコハウスや排水システム、などの技術的アプローチ。環境、教育など、社会的アプローチ。文化、ライフスタイルなど、精神的なアプローチ。それぞれのコミュニティになるそうです。それぞれの「X」が一つの形となって表れたのが「エコビレッジ」におけるコミュニティではないでしょうか。

 

昔の日本は、八百万の神と生活を共にしていました。多様な価値観尊重し、個人個人が個性を持ち、互いを認め、足りない部分を補い合うそんな国だったはずです。そして、「伝統」とは、新たしく時代に合わせながら変化していくものです。ですから、昔の暮らしに戻すのではなく、新しい技術を生かしながら、自然からは謙虚に恩恵を受け、手間を惜しまず積極的な暮らしをして行けば、「真の日本のすまい」方が見えてくると思います。

 

 

 

「すまい」とは人生の舞台

 

前にも出てきました「半農半X」と言う言葉は、「半農半Xという生き方」著者塩見直紀。からの引用です。私が理想としている暮し方を見事に実践され感銘を受けました。著者に感想のメールを送ったところ、すぐお返事を頂き、農家民泊があるとのお誘いを受け、早速この秋、家族でいって来ました。

民泊先は、京都府綾部市五泉(いいずみ)、1.5kmも先に行けば最終集落で、電線も途切れていました。そんな山里で、泊めていただいたお宅は、3年前にご主人をなくされた、一人暮らしのおばあさんでした。畑仕事の傍ら、週末には都会から来る人の為に、庭先や部屋のあちらこちらに、師範の腕を生かして花を生け、書もたしなみ、蔵を改装した趣味の部屋で、お茶を点てて下さいます。食事も、普段おばあさんが食べている、採れたての野菜料理や保存食、驚いたのは、この山里に生きの良い秋刀魚が出た事。13qも行けば舞鶴に出られるのだそうです。このあたりのおばあさんは、颯爽とスーパーカブに乗って舞鶴や綾部温泉や市内へと行くのだそうです。あっぱれ「半農半民泊」です。

 

 すまいは、茅葺で、田の字に仕切られた畳の間。(宿泊にこの4部屋を開放)土間とその傍らに、裏の山から夫婦で切り出した栗の木で作った板の間。板の間続きで五右衛門風呂。土間の隅にある焚き口でお風呂を沸かしました。

 「このあたりでも、土間や、五右衛門風呂があるのはここ位だよ。」と・・。さて、一つ疑問が出てきました。我々がいる間おばあさんが寝るところは・・・?ありました!土間に!納戸だと思っていた扉の奥に、おばあさんのプライベートルームが。畑仕事をするおばあさんにとって、土間が生活の中心なのだとおもいました。

 屋根は、萱の上に瓦を葺いてしまって少し残念でした。「ここへ嫁に来て後悔した事は、井戸を掘っても水が出ず、(山なので地下水が溜まらない為)冬の水が冷たくてつらい事。」だそうです。「でもね、阪神淡路の震災のような地震が来て、電気や水道やガスが止まっても、ここは普通に何日でも暮せるよ。」と誇らしげに語ってくれました。(自立した生活)その笑顔にある、しみや皺までも美しく、この舞台で、みごとな人生を演じて居られます。私の憧れの女性です。

 

自然と暮せる素晴らしさ。

 

 都会では、一歩外へ出れば狭い道を車がスピードを出して走って来ます。昔どこにでもあった広場もなく、公園はホームレスに占領されて遊べません。

綾部で、思いっきりボールを投げ、田んぼにはいり土や草まみれになり、畑で野菜の収穫をし、親子4人で、ゆっくり散歩をしました。初めての体験です。

この綾部行きは、小学校3年の息子、2年の娘は、自然についていろいろ彼らなりに感じ取り、息子は、大阪と綾部は違うところがあった事に気がつ
いてくれました。「綾部は、手間がかかる。」きっと風呂焚きをして感じ
たのだと思います。「おかずは、ずっと置いとけるんやろ。」きっと保存食の事でしょう。こういう生活の事「スローライフ」食べ物の事「スローフード」って言う事を教えるきっかけになりました。
 この旅の後、いろんな事を考えました。「忙しい」を盾に子供と一緒に何かをする事がないし、子供としっかり向き合っていない事に気がつきました。

 自然は、おのれに科学的法則がある事を知りません、しかし、人間は子供でもそれに気がつく事が出来ます。その力を養ってくれるのは自然なのです。

自然も子供も大切にしなければいけません。

 

私の舞台計画

 

さて、私の理想とする「すまい」は、里山である事。自給自足できるだけの農地がある事。地域にある素材を生かした家を、自分で建てるのが夢です。具体的に、「藁の家」ストローベイル(藁のブロック)の家です。防音・断熱に大変優れています。女性や子供でも建てられます。しかしまだまだ問題はあります。

壁部木材の使用量が少なく、工法も簡単で利点が多く、藁の家の特徴が生かされる壁式構造が理想なのです。直接藁壁で屋根荷重を受けなければならず、鉄筋や竹、木の杭などを配筋すれば、構造を強化することができるのですが大型の建物や2階建てには適していません。(アメリカでは多くの州で認可されています。)しかし、いろいろな工夫をしながら日本の風土に合った家が出来ると思います。

基礎のコンクリートの代わりに貝を使用すれば、水はけが良く藁をいためないとか。漆喰の防水効果は知られていますが、何せ、中が藁なので防火の工夫が必要です。それは、漆喰に硫黄を混ぜると1000度の熱にも耐えるそうです。(本当かな?)日本特有の竹の利用も期待されています。
 自分の田んぼでとれた副産物の稲藁や麦藁を利用し、自分達で建てると言う事は、悪くなったところを自分で修繕できるし、廃材は土に戻る。藁が一時的に「家」と言う形に居場所を変え寄り道しただけなのです。理想の「持続的循環型の家」です。

地域の人たちが同じ目的意識を持ち、協力し、藁や労力をだしあって、「結い」なるものが復活すれば良いなと思います。それを日本式の「エコビレッジ」とすれば、家を建てるときだけではなく、お互いの生活を護るコミュニティの役割も、果たせると思います。

 

間取りは、綾部のおばあさんの生活を見ていて、土間空間が今で言うLDKとサニタリーと家事室は、活動的空間(昼の空間)で、それ以外は静的空間(夜の空間)であったと思います。二つの空間をエリアわけする事で、無駄なエネルギー消費を抑えられますし、過度な段差の上り下りが減らせます。活動的空間が土間である事は、外へ・外からのアプローチが容易である事がメリットであると思います。今は亡き、夫の母は膝を悪くしてから、玄関の段差が苦痛で外出もしなくなり、だんだん弱ってしまった事が思い出されます。

 

我が家には二人の子供がいますが、基本的に子供部屋は必要ないと考えます。

基本的に無駄な空間は持たない考えです。もし里山生活をしていて、子供が年頃になり部屋が欲しくなれば、自己責任において、藁の小屋を自分で建てさせ自立心を養わせるというのはどうでしょうか。

 

排水の処理に「ウィードベッドシステム」はどうでしょうか。それは休耕田のような所(50m×100m)に真ん中にはヨシが植えられていて周りに小石が入っています。その小石の所に200世帯の排水が処理できます。出てくる時は、大変きれいになりそのまま川に流す事が出来ます。そして、成長したヨシは、断熱材として使えますし、少し手間を掛ければ和紙に加工できます。

 

綾部五泉地区で、今も排泄物は、畑などの肥料に使われるそうですが、高齢化が進むとかなりの重労働となります。処理の簡単なバイオトイレによって、年に1〜2回のおがくずの交換で堆肥が得られます。

 

夏はすずしいため、冬の寒さ対策だけです。とはいっても、断熱性の高い藁の家なので、特別な暖房システムはいらないと思います。暖炉の裏側をレンガの一体化の風呂場にする事で、冬暖かく、お湯も冷めないお風呂ができると思います。(お湯を沸かせたら良いですね。)

 

今日、さまざまなエコシステムが開発されて、良い傾向だとは思いますが、その仕組みが複雑であったり、大掛かりであるため、素人では取り付けられなかったり、メンテナンスができません。環境に優しいからといって、あのシステムこのシステムと取り入れるのはどうかと思います。いつかそれは廃棄物になるのですから。自分達にとって何が大切か見極める事が必要だと思います。

 

里山に住むということは都会で生まれて育った私達にとって、未知の世界で不安もたくさんあります。地域の人たちが受け入れてくれるのだろうか、農作業も上手くできるのだろうか、それでも里山生活に気持ちがかりたてられるのは、子供達や、孫やその先の人たちに残さなくてはいけない、自然、文化、伝統が、日本にはまだたくさん残っているからです。20世紀には、破壊と構築を繰り返し、多くを消費するばかりでした。今からは、償い修復して行く時代だと思っています。

 

子供の頃私は、よく寄り道をしました。寄り道には、いろんな発見や冒険があり、けがもしましたが楽しいものでした。人生も走っていては遠くの流れる景色は見えても、足元の大切なものを見つける事はできません。それは、各々の「X」かもしれません。

 

「真の私のすまい」で、素敵な共演者達と、自己表現ができ、感動を分かち合い、シミや皺まで美しい人になるために、私の「X」を模索しています。

 

           


 第1回「真の日本のすまい」提案競技佳作受賞作品
「藁が寄り道する家」



豊かな社会のはずが

今から100年前の人は、100年後こんな世の中になる事を想像したでしょうか。我が日本は、素晴らしい高度な経済・技術成長を成し遂げました。それは、限りある化石燃料の、莫大な量の消費の上に成り立っているのです。我々はあらゆる物を犠牲にしてはいませんか。自然環境の破壊はもちろんの事。政治経済、社会環境のひずみなど、この先どうなるのでしょうか・・・。

 

エネルギーの事を考えてみると、石油エネルギーに頼る社会に不安を感じます。代替エネルギーの事、省エネルギーの事など考えられていますが、もっと個人レベルの意識をもっと深める事が必要ですだと思います。

 

食料についても、世界の何割という飢餓、世界的な人口増加、温暖化による農作物への影響など、戦後の食糧不足を教訓にしなければなりません。これからも、日本は金さえ出せば米をいくらでも輸入できるとタカをくくっていていいのでしょうか。アメリカには畜産飼料、麦、大豆といった基礎食糧の大半を頼っていますが、過度のアメリカ依存はこの国が今後こうした食糧を「外交カード」に使いはじめるのではないかと危惧するところです。日本も自給率を上げていかなくてはいけません。

 

人と人とのつながり、関わり方もおかしくなってきています。親子、夫婦、家族、ご近所、学校、会社、社会、国際社会、のさまざまな場面で、いろんな事件や争い事が耐えません。   

便利さ手軽さを求め、合理性こそ美徳の世の中に、時間的豊かさが実現できたでしょうか。より一層人々は時間に追われ、自分の事で精一杯で、ストレスまみれです。経済的に豊かになれば、それ以上の欲が出てきます。それでは、人を思いやる心が持てなくなります。悲しい事です。

 

 

自分を探し生きる事

 

里山で、新鮮で安全な食物を自ら確保し(自給自足)、自分の才能や生き甲斐を生かして現金化し、生活をする生き方を理想としています。これを「半農半X」的生き方とします。「X」=才能、生き甲斐、使命。人間食べさえすれば生きられる、それに生き甲斐がプラスαであれば幸せな人生だと思っています。

ただし、「半農半X」において、個々の生活が基本です。個人は自らの生活の自立した体系に責任を持たなければなりません。これからの日本は、年金もあてにならず、自分の事は自分で責任を持つ時代です。

 

デンマークの人も、かつては子が親の面倒を見る習慣がありました。その時代の老人が幸せであったかというと、必ずしもそうではなく。若者と意見が合わずに家庭の中で孤独を感じる事や、子供に負担を掛けまいと、中には、自殺をする老人もずいぶんいたそうです。そのような経験から、デンマークの高齢者福祉の基本方針などが生まれました。
 1)継続性
 2)自己決定
 3)自己資源の開発
つまり、これまでどおりの生活を続け(継続性)、他人ではなく自分の決定でなされ(自己決定=個人尊重)、生きがい(自己資源の開発)を持ち生きる、という「自立」の意味を持ちます。一人暮らしの老人であっても、障害者や母子家庭であっても、生活が保障されていて、誰も面倒見なくても、生きていけるのです。そこには、「孤独」が生じます。「孤独」による自殺も少なくないなのです。家族と暮せるから、食べて行けるから、だけでは、生きていけない事の証明なのです。そして「エコビレッジ」が出来たわけです。

 

70年代のヒッピーの時代、若者が集まりコミュニティを作り暮す事から始まり、80年代は自給自足を目的としたコミュニティ。90年代は環境問題に取り組むコミュニティ。アプローチも、大きく3つに分けられます。エコハウスや排水システム、などの技術的アプローチ。環境、教育など、社会的アプローチ。文化、ライフスタイルなど、精神的なアプローチ。それぞれのコミュニティになるそうです。それぞれの「X」が一つの形となって表れたのが「エコビレッジ」におけるコミュニティではないでしょうか。

 

昔の日本は、八百万の神と生活を共にしていました。多様な価値観尊重し、個人個人が個性を持ち、互いを認め、足りない部分を補い合うそんな国だったはずです。そして、「伝統」とは、新たしく時代に合わせながら変化していくものです。ですから、昔の暮らしに戻すのではなく、新しい技術を生かしながら、自然からは謙虚に恩恵を受け、手間を惜しまず積極的な暮らしをして行けば、「真の日本のすまい」方が見えてくると思います。

 

 

 

「すまい」とは人生の舞台

 

前にも出てきました「半農半X」と言う言葉は、「半農半Xという生き方」著者塩見直紀。からの引用です。私が理想としている暮し方を見事に実践され感銘を受けました。著者に感想のメールを送ったところ、すぐお返事を頂き、農家民泊があるとのお誘いを受け、早速この秋、家族でいって来ました。

民泊先は、京都府綾部市五泉(いいずみ)、1.5kmも先に行けば最終集落で、電線も途切れていました。そんな山里で、泊めていただいたお宅は、3年前にご主人をなくされた、一人暮らしのおばあさんでした。畑仕事の傍ら、週末には都会から来る人の為に、庭先や部屋のあちらこちらに、師範の腕を生かして花を生け、書もたしなみ、蔵を改装した趣味の部屋で、お茶を点てて下さいます。食事も、普段おばあさんが食べている、採れたての野菜料理や保存食、驚いたのは、この山里に生きの良い秋刀魚が出た事。13qも行けば舞鶴に出られるのだそうです。このあたりのおばあさんは、颯爽とスーパーカブに乗って舞鶴や綾部温泉や市内へと行くのだそうです。あっぱれ「半農半民泊」です。

 

 すまいは、茅葺で、田の字に仕切られた畳の間。(宿泊にこの4部屋を開放)土間とその傍らに、裏の山から夫婦で切り出した栗の木で作った板の間。板の間続きで五右衛門風呂。土間の隅にある焚き口でお風呂を沸かしました。

 「このあたりでも、土間や、五右衛門風呂があるのはここ位だよ。」と・・。さて、一つ疑問が出てきました。我々がいる間おばあさんが寝るところは・・・?ありました!土間に!納戸だと思っていた扉の奥に、おばあさんのプライベートルームが。畑仕事をするおばあさんにとって、土間が生活の中心なのだとおもいました。

 屋根は、萱の上に瓦を葺いてしまって少し残念でした。「ここへ嫁に来て後悔した事は、井戸を掘っても水が出ず、(山なので地下水が溜まらない為)冬の水が冷たくてつらい事。」だそうです。「でもね、阪神淡路の震災のような地震が来て、電気や水道やガスが止まっても、ここは普通に何日でも暮せるよ。」と誇らしげに語ってくれました。(自立した生活)その笑顔にある、しみや皺までも美しく、この舞台で、みごとな人生を演じて居られます。私の憧れの女性です。

 

自然と暮せる素晴らしさ。

 

 都会では、一歩外へ出れば狭い道を車がスピードを出して走って来ます。昔どこにでもあった広場もなく、公園はホームレスに占領されて遊べません。

綾部で、思いっきりボールを投げ、田んぼにはいり土や草まみれになり、畑で野菜の収穫をし、親子4人で、ゆっくり散歩をしました。初めての体験です。

この綾部行きは、小学校3年の息子、2年の娘は、自然についていろいろ彼らなりに感じ取り、息子は、大阪と綾部は違うところがあった事に気がつ
いてくれました。「綾部は、手間がかかる。」きっと風呂焚きをして感じ
たのだと思います。「おかずは、ずっと置いとけるんやろ。」きっと保存食の事でしょう。こういう生活の事「スローライフ」食べ物の事「スローフード」って言う事を教えるきっかけになりました。
 この旅の後、いろんな事を考えました。「忙しい」を盾に子供と一緒に何かをする事がないし、子供としっかり向き合っていない事に気がつきました。

 自然は、おのれに科学的法則がある事を知りません、しかし、人間は子供でもそれに気がつく事が出来ます。その力を養ってくれるのは自然なのです。

自然も子供も大切にしなければいけません。

 

私の舞台計画

 

さて、私の理想とする「すまい」は、里山である事。自給自足できるだけの農地がある事。地域にある素材を生かした家を、自分で建てるのが夢です。具体的に、「藁の家」ストローベイル(藁のブロック)の家です。防音・断熱に大変優れています。女性や子供でも建てられます。しかしまだまだ問題はあります。

壁部木材の使用量が少なく、工法も簡単で利点が多く、藁の家の特徴が生かされる壁式構造が理想なのです。直接藁壁で屋根荷重を受けなければならず、鉄筋や竹、木の杭などを配筋すれば、構造を強化することができるのですが大型の建物や2階建てには適していません。(アメリカでは多くの州で認可されています。)しかし、いろいろな工夫をしながら日本の風土に合った家が出来ると思います。

基礎のコンクリートの代わりに貝を使用すれば、水はけが良く藁をいためないとか。漆喰の防水効果は知られていますが、何せ、中が藁なので防火の工夫が必要です。それは、漆喰に硫黄を混ぜると1000度の熱にも耐えるそうです。(本当かな?)日本特有の竹の利用も期待されています。
 自分の田んぼでとれた副産物の稲藁や麦藁を利用し、自分達で建てると言う事は、悪くなったところを自分で修繕できるし、廃材は土に戻る。藁が一時的に「家」と言う形に居場所を変え寄り道しただけなのです。理想の「持続的循環型の家」です。

地域の人たちが同じ目的意識を持ち、協力し、藁や労力をだしあって、「結い」なるものが復活すれば良いなと思います。それを日本式の「エコビレッジ」とすれば、家を建てるときだけではなく、お互いの生活を護るコミュニティの役割も、果たせると思います。

 

間取りは、綾部のおばあさんの生活を見ていて、土間空間が今で言うLDKとサニタリーと家事室は、活動的空間(昼の空間)で、それ以外は静的空間(夜の空間)であったと思います。二つの空間をエリアわけする事で、無駄なエネルギー消費を抑えられますし、過度な段差の上り下りが減らせます。活動的空間が土間である事は、外へ・外からのアプローチが容易である事がメリットであると思います。今は亡き、夫の母は膝を悪くしてから、玄関の段差が苦痛で外出もしなくなり、だんだん弱ってしまった事が思い出されます。

 

我が家には二人の子供がいますが、基本的に子供部屋は必要ないと考えます。

基本的に無駄な空間は持たない考えです。もし里山生活をしていて、子供が年頃になり部屋が欲しくなれば、自己責任において、藁の小屋を自分で建てさせ自立心を養わせるというのはどうでしょうか。

 

排水の処理に「ウィードベッドシステム」はどうでしょうか。それは休耕田のような所(50m×100m)に真ん中にはヨシが植えられていて周りに小石が入っています。その小石の所に200世帯の排水が処理できます。出てくる時は、大変きれいになりそのまま川に流す事が出来ます。そして、成長したヨシは、断熱材として使えますし、少し手間を掛ければ和紙に加工できます。

 

綾部五泉地区で、今も排泄物は、畑などの肥料に使われるそうですが、高齢化が進むとかなりの重労働となります。処理の簡単なバイオトイレによって、年に1〜2回のおがくずの交換で堆肥が得られます。

 

夏はすずしいため、冬の寒さ対策だけです。とはいっても、断熱性の高い藁の家なので、特別な暖房システムはいらないと思います。暖炉の裏側をレンガの一体化の風呂場にする事で、冬暖かく、お湯も冷めないお風呂ができると思います。(お湯を沸かせたら良いですね。)

 

今日、さまざまなエコシステムが開発されて、良い傾向だとは思いますが、その仕組みが複雑であったり、大掛かりであるため、素人では取り付けられなかったり、メンテナンスができません。環境に優しいからといって、あのシステムこのシステムと取り入れるのはどうかと思います。いつかそれは廃棄物になるのですから。自分達にとって何が大切か見極める事が必要だと思います。

 

里山に住むということは都会で生まれて育った私達にとって、未知の世界で不安もたくさんあります。地域の人たちが受け入れてくれるのだろうか、農作業も上手くできるのだろうか、それでも里山生活に気持ちがかりたてられるのは、子供達や、孫やその先の人たちに残さなくてはいけない、自然、文化、伝統が、日本にはまだたくさん残っているからです。20世紀には、破壊と構築を繰り返し、多くを消費するばかりでした。今からは、償い修復して行く時代だと思っています。

 

子供の頃私は、よく寄り道をしました。寄り道には、いろんな発見や冒険があり、けがもしましたが楽しいものでした。人生も走っていては遠くの流れる景色は見えても、足元の大切なものを見つける事はできません。それは、各々の「X」かもしれません。

 

「真の私のすまい」で、素敵な共演者達と、自己表現ができ、感動を分かち合い、シミや皺まで美しい人になるために、私の「X」を模索しています。

 

           


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